恩讐を超えて長寿を祝い今、洋上の母娘
コロナ禍直前の2019年9月、母の米寿と私の還暦祝いを洋上で、と、私たちはバルト海クルーズに旅立ちました。私たち母娘の人生はまさに波乱万丈でした。父が妾を囲って子どもを産ませ、妾宅に入りびたりましたので、物心つくころから、私の家はケンカと離婚訴訟の中にありました。しかもその最中に父はあっけなく50代でこの世を去ってしまい、残された者たちにはそこからさらに壮絶な遺産相続争いが続きました。気が付けば、いつの間にか妹は結婚して家を逃げ出して、以降無関心を装い、残された母をかばって私は婚期も逃しながら必死で家を守り、気が付けば30代半ばになり、ようやく片付いた矢先に病に倒れました。それでも母は家を出た妹を溺愛しつづけ、私の心身は癒されぬまま、とうとう還暦になりました。そのような中でもこれまでには時折春風が吹くかの如く穏やかに過ごした時期もありましたので、旅好きの私と母はよくクルーズを楽しみました。ダイヤモンドプリンセスが就航した時は真っ先に乗船し、これまでの日本船とは全く異なる、ハイクオリティなサービスの数々に魅せられていました。また長寿の祝いにと母にプレゼントしたのもアラスカクルーズでしたので、私たちにとってクルーズは普段使いの旅行形態でもあり、また人生の節目を祝う思い出旅行でもあります。今、こうしてコペンハーゲンに降り立った時、万感の思いが去来し、乗船時は涙が止まりませんでした。実はクルーズ中も船室で母とはバトルもしてしまいました。でもお祝いだからだと気を静め、また一緒にショーを観る・・・どんなことがあっても60年間苦楽を共にした私たちはいわば老夫婦のような関係になってきたのかもしれません。その後世界はコロナ禍とロシアのウクライナ侵攻に見舞われ、その間に母の老いもすすみ、妹はがんで余命わずかとなり、我が家は今また波乱の真っただ中にあります。そんな日々の中で母と2人で話すのは、いつもあのバルト海クルーズです。エルミタージュ美術館、ピョートル大帝の庭園を散策したあの夏の日の思い出。フィンランド、バルト三国が報道で出るたびに「良い時に行ってきたね」と話題は尽きません。母娘の積年の思いを象徴するあのクルーズこそが、私たちのプリンセスクルーズであり、「また行こうね」と笑みをかわしています。